令和の文書管理問題。それはなぜ起こったのか。根底にある日本の問題点とは。そして、日本の文書管理の行く末は。(前編)

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 2019年11月の桜を見る会の名簿破棄問題、12月に発生した神奈川県の行政データ流出問題など、杜撰な文書管理が露になった事件が多く報じられています。どうしてこのような事件が起こったのか。日本はアメリカ、ヨーロッパ、中国などよりも文書管理の整備について遅れをとっていると言われています。それはなぜでしょうか。そもそも日本の文書管理はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。今回は、令和時代に起きている文書管理の問題に触れながら、日本の公文書管理の歴史を振り返り問題点を指摘し、さらに、今後の日本の文書管理の未来をどうしていくべきかを検討します。
 今回は、データ保全推進研究会理事長の野村が、慶應義塾大学名誉教授で、国立公文書館の前館長の高山正也先生に実際にお話を聞き、今回のテーマについて語っていただきました。
 前編では、今の日本の文書管理の問題について確認し、後編では、その問題を解決する糸口について語っていただきます。

1.疎かになっているデータ管理。今の日本の現状とは。

 野村:大変ご無沙汰しております。先生が監修された書籍「文書と記録 日本のレコード・マネジメントとアーカイブズへの道」(出版:樹村房)の件(編集者註:インタビュー対象として野村が参加)以来ですね。

高山 正也先生(以下、高山先生):こちらこそご無沙汰しています。

野村:AI(人工知能)、ビッグデータの時代に入り、企業・組織、またそれらに関わる人々にとって、情報・データの持つ価値はますます高まっていますね。

高山先生:そうですね。本来データとは、三層構造になっています。「データ」「インフォメーション」「インテリジェンス」です。例えば最近では、リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェローの吉野彰さんが、12月10日に2019年のノーベル化学賞を受賞されましたが、そういった研究では、多種多様な実験データが発生します。そのデータをいくつか集めて、関連付けて、論文になります。それが一種の「インフォメーション」です。さらに、このような研究がこういうことに使うことができる、ということが分かれば、今後狙うべきマーケットや、その研究結果が使われる分野が分かります。これが、「インテリジェンス」になるのです。つまり、データが重なり、それがインフォメーションになり、インテリジェンスへと発展していく。この三層構造を理解するのはとても大事です。
 それを理解した上で、データを管理するというビジネスの価値が生まれてきます。しかし残念ながら、まだ日本は、アーカイブズに関してはビジネスよりアカデミックな声が大きいのが実情です。日本社会では、データの扱い方に関してビジネスの展開について議論されておりません。

野村:私も専門家の方々と、一般のビジネスパーソンや個人との間に断絶が起きていると感じます。AIや機械学習などでは、古いデータが役立つという声はでてきましたが、それ以外ではまだまだ少数でしょう。

高山先生:例えば映像データに関してお話すると、2020年に東京オリンピックが開催されますが、その際に1964年当時のオリンピックの映像を比較対象として世に出されることは間違いないでしょう。このようにテレビで過去の映像が使われることは多々あります。実は、無意識のうちにAIや機械学習の対象とならない過去のデータが使われているのですが、認識がされてないのです。

 図書館の人たちの何人かは、近年はデジタル化が進み、デジタルデータ、通信データが中心となってきているので、紙の本は必要なくなるのではないか、と言っている方もいます。しかし、本当にそうでしょうか。先ほども言いましたが、ノーベル化学賞を取った吉野さんがリチウムイオン電池を研究するには、紙が中心であった19世紀から20世紀にかけての研究も必要だったはずです。その時代の研究が今の研究の基礎となって役立っているのです。21世紀の研究成果だけを学習しているのでは成果は望めません。

 デジタル化が進んでいるのは事実ですが、紙は不要と考えている人たちは、紙と電子の役割が違うことをきちんと理解していないのでしょう。紙の資料が多くのスペースを占め、そのスペース費用がかかるのであれば、ある程度のコストをかけてでも電子化させるのか、それともコストパフォーマンスを優先し、安い倉庫に押し込んでおくのか。その選択はとても重要で、電子化のコストと紙の蓄積に使うコストの比較というのは問題で、軽く考えるべきことではありません。しかし、残念ながら多くの人はそこに関心をはらっていません。

 実社会の中であまり意識されない結果、データの扱いがかなり疎かになってしまっています。最近の神奈川県庁の行政データ流出事件はその典型例です。整理整頓する際に、何を外に出して、どういうことをお願いしたらいいかがそもそも分かっていないので、安易に、使わないデータの廃棄を外注させてしまい、その処理作業には無関心になってしまうのです。

野村:省庁や自治体の受託業務に関わってきましたが、運用はかなり異なるということを感じます。現場での立ち会いや製紙会社までの運搬時の同乗もあったりなかったりで、文書レベルに合っているのかは疑問です。 高山先生:省庁や自治体によって違うのは事実です。個人情報が大事、という意識があるのであれば、県庁のしかるべき担当の人間が立ち会うべきです。残念ながら、公務員の人たちは、なんとかして手を抜いてやろうという意識があるような気がします・・・

2.たとえば研究データの改ざん問題。日本ではなぜなくならないのか。

野村:ところで、知的財産立国、産業立国を目指す日本にとって、現在の研究データの扱いはどうなのでしょうか。論文の改ざんや元データの削除などは日本が一番多いという報道もありました※1

高山先生:2014年には小保方さんのSTAP細胞論文問題が大きな話題となりましたね。この問題は、広義には文科省の行政に絡むと考えています。
 少し前までの日本の大学は、ある面では良いところがありました。教員や研究者ががんじがらめに管理されていなかったからです。自分の好きなことだけに没頭して、研究している教員と、与えられた課題をまじめに研究し、学生を指導する教員が同じように評価されていました。ただ、教員も研究者もその人に与えられた課題・役割の認識は薄く、それではいけないと、しっかりとそれぞれの教員や研究者の役割と成果につき、評価するようになりました。しかし、問題なのが、”真面目に評価しなかった“、すなわち評価の方法がわからない、確立されていないということ。その教員の研究や内容に踏み込み、適切な方法で評価できる人が評価すればよかったのですが、そうではありませんでした。評価者は多くの場合、地位の上の人や年長者が選ばれました。そうすると適切に評価できない人でも、評価できるような客観的な基準が必要になります。つまり、研究成果を”量“で判断したのです。具体的には、一定期間の中で、どれだけ研究成果を発表できたか、をカウントして評価するようになりました。評価される側からすると、それならば、研究論文の数を増やせばいいんだと思うのは当たり前です。
 従来は、一つの研究を追求し、その成果やデータを必要なら総合し、しっかり解釈、解析をし、内容の濃い論文が一つ出来上がっていました。しかし、今は違います。研究成果の発表の数を増やすために、極論すれば、一つの研究データから、複数の論文を作るようになりました。結果的に内容は薄くなります。研究者が危惧していることですが、短絡的に言えば、このような評価基準がデータの改ざんを招いてしまったり、安易な剽窃や無断引用などを多く招いてしまいました。
 しっかりと、大学のような研究機関はその成果を評価するべきですが、その評価の方法がないがしろにされ、その結果極論すれば研究機関の劣化や研究水準の低下を招いています。この事態に歯止めをかけるのが行政の役割なのですが・・・

野村:ネットニュースなどでみると、上下関係が激しい世界、例えば医療業界は、ある有名な先生の論文にはケチを付けられないみたいですね。

高山先生:大学でも学閥などがありますし、たしかにそういうこともあるようですね。大事なことは研究成果としてのデータやインフォメーションがしっかりアーカイビングされていれば、今の研究の内容が過去に比べて進歩しているかそうでないか、研究方法がこれでいいのかなどのチェックを研究者ができるということです。

※1.webサイト 現代ビジネス『STAP細胞事件が覆い隠した科学技術立国ニッポンの「ヤバい現実」 』(2019.11.27)

3.日本の図書館の歴史を振り返る

高山先生:ところで日本の図書館の歴史についてこのような通説があります。戦後の占領期間中に、GHQによって日本の図書館の振興が行われました。近代化され、図書館が民主化の基盤となり、現代に至ったと。しかし、この説はおかしいのではないでしょうか。もともと日本の敵だった占領軍が、日本のために、日本の民主化のために尽力をつくすでしょうか。そうではなくて、アメリカにとって有利になるための一環として図書館の振興が行われたのではないでしょうか。
 当時GHQの一部局であったCIE(民間情報教育局)が図書館を作りました。占領期間中にはCIEライブラリーが全国に20数機関もありましたが、これが現在、日本の公共図書館のモデルとなっています。 このCIEライブラリーがそれまでの図書館とは異なる特徴的な点が三つあります。一つ目は、レファレンスサービスが導入された、ということ。従来の図書館はあくまで本を借りるという場所でした。図書の番人のような職員がいて、閲覧に来た人に書庫から本を出してきて本を渡すためだけを仕事にする職員がいました。しかし、CIEの図書館は、訪れた人の読書相談に乗ってくれる、いわゆる本のナビゲーターがいました。こういう本が読みたい、と図書員に相談すると、こういう本があるよ、と紹介してくれます。これがレファレンスサービスです。
 二つ目は、CIE図書館には様々なかたちの情報記録が集まっていたということ。つまり、従来の図書館は本だけしか置いていなかったですが、CIE図書館は、本だけではなく雑誌や音楽レコード、映画フィルムなど視聴覚資料もありました。印刷メディアだけでなく情報を記録したメディアなら、全て扱うという姿勢があったのです。
 そして三つ目は、開架式が導入されたこと。従来は書庫の中で本が管理されていて、利用者は近づくことはできず、必ず図書館員が仲介者となっていました。しかし、開架式が導入されたことで、利用者が直接書架に行き本を取り出すことができるようになりました。ではなぜ、従来は開架式が取り入れられなかったのでしょうか。それは、本は貴重品、お宝と捉えられていたからです。たとえば江戸時代の藩校では、貴重な漢籍を集め、藩校の生徒に読ませていました。さらに図書館で読むこと自体が有料とされていました。もちろん、現在日本の公共図書館は無料です。それはきちんと図書館法で定められていますが、図書館の本の利用については色々な解釈があります。利用はフリーにしないといけない、と拡張して解釈する人と、限定して解釈する人がいますね。例えば、開架方式は読者のプライバシーの確保にも好都合ですが、果たして、それで教育上の使命を果たせるでしょうか。

野村:うっかりしていましたが、そういえば開架式の歴史はまだまだ浅いですよね。写本の時代は貴重品ですから、開架式なんてとんでもないことだったでしょうね。
ところで、もともと紙の書籍場合は著作権の問題で、原則として著作物の半分までしか複写物を提供できないとされていますが、デジタルになるとどうなのでしょうか。

高山先生:実態は、利用者に任せっきりなところがあります。図書館の方も、一冊丸ごとコピーされてしまうことは分かっています。コピーサービスが始まった当初は厳格に管理されていたのですが、だんだんと緩くなってきてしまいました。デジタルになってもそれは変わらないどころか、ワンタッチでコピーが可能ですから、コピーをするための条件設定をどうするかに関心が移るのかもしれません。

【後編に続く】

【インタビュイー】
高山正也(たかやま まさや)氏
1966年慶應義塾大学商 学部卒、1970年慶應義塾大学大学院文学研究科図書館情報学専攻 修士課程修了(文学修士)。1970年から、東京芝浦電気(株)(現:東芝) 技術情報センター勤務を経て、1976年より慶應義塾大学文学部図書館・情報学科に勤務、助教授・教授を歴任。2006年国立公文書館理事 を経て館長、2013年同館参与。著書に「歴史に見る日本の図書館」「文書と記録 日本のレコード・マネジメントとアーカイブズへの道:監修」など多数。2015年には瑞宝中綬章を受章。現在(株)図書館流通センター 顧問、(株)ライブラリーアカデミー塾長を兼務。慶應義塾大学名誉教授。

【インタビュアー】
野村 貴彦(のむら よしひこ)
データ保全推進研究会理事長 公益社団法人日本文書情報マネジメント協会理事
株式会社ボウラインマネジメント 代表として企業・団体における業務効率化をサポート。主に文書・映像、IoTデータ等の活用・管理支援、データマネジメント支援サービス、データ保全サービス Amberlt(アンバルト)、文書管理系サービスの普及支援などを行っている。

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